29歳女性、豪州ワーホリで在住国もキャリアもチェンジ!

29歳女性。もともと海外在住だったのですが、思い切って仕事を辞めてオーストラリアにワーキングホリデーに行きました。当時は、東南アジアの途上国にて企業勤めでした。現地採用でしたが、やりがいのある仕事をいろいろ任せてもらえ、充実した日々を送っていました。しかし、年齢のせいもあるのでしょうか、気づかぬうちに身体は疲れていたのでしょう。徐々に病院に通院する機会が増え、元々持っていた呼吸器系の持病が悪化してきたときに、ここで一旦一休みしてもいいのではないかと思いました。それを日本にいた友人に漏らしたら、「あなたはまだ若いし、年齢制限にも引っかからないのだからこの機会に、その権利を使ってみたらいいのでは」と勧められたのがワーキングホリデーでした。はじめは、ワーキングホリデーは名前の通り、「ホリデー」だし、すでに社会人として長く勤めていた自分が今更20歳前後の若者たちに混じってまで…という先入観がありました。しかし、ここで日本に帰っても、当時は冬、寒さが苦手の私はオーストラリアに渡航することを決心しました。寮住まいなどの体験はhttps://www.bloomfield-real-estate.com/などにいろいろありますが、その当時情報が少なかったので大変でした。もともと上級の英語力はあったのですが、この機会に、語学で身を立てられるようにと語学学校の最上級コースに通い、英語の資格試験に向けて猛勉強しました。毎日覚えることがたくさんあって大変でしたが、久しぶりの学生生活をエンジョイしました。最上級コースともなると、将来現地の大学院やMBAに本気で合格を取りにいくようなモチベーションの高い外国人が多く、国籍やバッググラウンドも多様で、クラスメートたちとの交流は宝物になりました。無事に英語試験に合格、自信をつけ、フリーランスの仕事を始めることができました。そして、その時に出会った欧州人のパートナーと、一緒に欧州に戻り、今は欧州で生活しています。後悔していることは特にありませんが、オーストラリアは物価が非常に高く、特に家賃はシェアルーム(シェアハウス)でさえ高いので、そのあたりの覚悟をもっとしておいたら最初の1ヶ月に散財しなかったかなと思います。仕事や住む場所、パートナー、全てが以前と変わり、私の人生が大きく変わったと言えます。

44歳、女。転機は小学生の頃の学芸会。

44歳の会社員、女性です。
新しい経験をしたのは11歳の時、だいぶ昔の話になりますが、それ以降、今日にいたるまで、この経験によって間違いなく今の自分がある、という人生を送っています。
それは、小学校の学習発表会、いわゆる学芸会でのことです。その頃の担任の先生が少し変わった、一筋縄ではいかない人で、クラスの多くが「劇をやりたい」と言っていたにも関わらず「ならば、『表現読み』にしよう」と言い出しました。今ならばそれが「ドラマリーディング」の部類になるものだとわかるのですが、小学生の頃には「表現読み」という新しい分野にワクワクしたことを覚えています。
その時にやったのはこうです。教科書掲載のある物語を、段落や文章、鍵括弧などで小分けにし、クラス一人一人にパート分けします。それを暗記し、普段の本読みよりも芝居がかった感じになるように抑揚をつけて、一人一人物語を繋いでいくのです。そうする事で全員参加となり、また、人前に出る事が苦手な人も、暗記が苦手な人も、負担なく参加できるし、見せ場にも大きな差が生じません。みんなが主役となるのです。
また、得意な子は苦手な子にコツを教えるなど、クラスが一気にグッとまとまった雰囲気になったことを覚えています。
みんなで協力し合いながら、一つの作品を創り上げ、それを観た人たちが(この場合は学習会を観に来ている親なので当然なのですが)喜んでくれる。この時の快感が忘れられず、また、どのような抑揚をつけて暗唱すればどのような気持ちとして相手に伝わるかを一生懸命子供ながらに考えながら経験した「表現読み」の面白さが忘れられず、私はその後、大学入学と同時に地元の劇団に入団し、芝居の世界に足を踏み入れる事になりました。
芝居を最優先にした学生生活を送った結果、そして、芝居を最優先に考えた就職活動をした結果、4年制の国立大学卒業後にフリーターとなる、という事にはなってしまったのですが…。
それでも、職を何度か変えながらも、芝居を辞めることもなく、なんとか会社員に収まることも出来、今、非常に充実した生活を送っています。あの時、「表現読み」という出し物でなければ、芝居の世界を目指すこともなかったでしょう。そして、芝居を中心に置く生活もしていなかったでしょう。ただ、それが今の幸せに繋がっているので、あの時の担任の先生には今でも感謝しています。

40歳 30年前の夏休みに価値観が変わった話

お寺での修行の体験 有名なのは福井の曹洞宗永平寺の3泊4日がありますが 私の場合 中学の夏休みに
富山にある臨済宗 国泰寺で前に一か月の修行体験をしたことがあり 私の中で価値観が大きく変化した
出来事だったのでそのお話を少し書いてみたいと思います。

もともとは親に勧められていきました とはいっても家は浄土真宗なので 宗派的なお話などは
横に置いておきます。
結構前の話になるのですが 始めていったときに客間に通されました その時に大学の先生も
来てらっしゃいました その方も 時々来て精神的なものをリセットするのだとゆうことを言
っていました。
そのころの私には今が分からないので「ふーん」っと軽く流したのを覚えています。

修行は 私も右も左もわからないまま お寺の方に 作業などを説明してもらい 最初はお墓のお供え物が
腐ったりしないうちに引きあげたりかたずけをしていました。
修行のほとんどは 座禅 写経の繰り返しでした 食事の作法もしっかり教えてもらい 言われるがまま
工程をこなしていました。

そうこうしているうちに 大学の先生は去り 新しく自分と同じくらいの年代の人間が沢山 次から
次とやってきました。
その時から 客間から大広間での生活になり みんなで作業 座禅などの工程をもくもくとこなしていました。

小学生のような子も来ていましたが 序列的なものはあまりなく 一般社会とは少し違いました。
私に すごくなついた子がいたので 私はなんとなくその子が遅れがちになったりするところをフォロー
しながら工程をこなしていました。

よく修行は辛いとゆう印象があると思うんですが あまり辛くはありませんでした。
言われたことをやること 座禅では足が痛い 食事は質素で作法をまもり ほとんどの私語は禁じられて
いました でも ほとんどは慣れるとなにも辛くは無いんです。

質素な食事も そればかり食べていると美味しく感じられてきます。
なによりテレビなどもなにもなく 外部の情報はなにもないので 日々の生活をしているだけといった感じです。

こういっては何ですが 私には幸福な生活だったみたいです。

それは 修行の日が終わり 私になついた子が最後まで私の後をついて回り その中で お坊さんに挨拶をして
回り 最後に署名をしてお寺を出た時 滝のように涙が出てきたからです。
人生であれほど 理由の分からない涙を経験した記憶がいまだにありません。

あれから あの時に 私が一つだけ 強く感じた価値観は 人の生活に多くは必要がないとゆうのを強く
感じました。
ですから そのために嘘をついたりする必要も見えを張る事も必要がないとゆう事をハッキリと感じ
ました。

ドラマ的な展開はなにもありませんが修行の経験は とても良いと思うので機会があれば 体験されて
みる事をお勧め致します。

29歳で、専門学校へいって勉強したこと

40代の専業主婦です。
子供の頃から、勉強嫌いでした。
嫌いだし全く頭に入らないので、勉強することじたい諦めていた感じでした。
勉強しなければ、やはり出来ることも限られてきます。
高校をでてからはアルバイトなどはしましたが、アルバイトなので金銭的にも厳しくなってきました。
そんなときに、バイト先で知り合ったこが、専門学校にいって勉強して好きな職業に就きたいと話していました。
自分の頭にはない考えでした。
二十歳も越えてからまた、勉強することも、バイトなどをしながら勉強することも
すごいなと素直に思いました。
そんな彼女の話を聞くと、すごく自分のことについて考えてしまいました。
このままでいいのか、今まで人生についてこんなに考えた事がないと言うぐらいこの先どうしたいのかなどを考えました。
自分でも、ビックリするぐらい何をしたいのか、何が出来るのかについて考えました。
その彼女は、看護師になるために専門学校に行ったのです。
私も医療系に興味があったし、やってみたいなと感じたので、そう仕事につくためにも専門知識は勉強したいと思い、勉強して専門学校に通うことになりました。
今までの人生で一番勉強した時期でした。
確かに、今まで必死で勉強していなかったなと猛烈に反省しました。
そしてどうして何も勉強しなかったのかとすごくもったいなかっと思いました。
若い頃は、勉強がいやで嫌で何でしないといけないのかと思っていましたが、いざ自分が社会に出て何の知識もないことに困ることはたくさんありました。
時間はかなり遅くなったし、時間もかかりましたが専門知識を勉強して資格をとることが出来ました。
もっと前からやりたいことがわかればもちろんそれが一番いいのですが、そうでなくてもやりたいことが見つかってからでも、いろんな勉強は出来るし、頑張れば変われるんだなと感じています。
新しくやりたいことが、見つかればやればいいんだなと本当に思いました。
新しく勉強したことで、全く違う人生に変わったので良かったと思います。

31歳女性、神社参拝で鬱屈した人生に光源を見出す。

わたしは日本の西側に住む三十代の独身の女性です。自分探しの旅とは昔からよく聞く言葉で、人生に行き詰りを感じたときに自分も同じように、自分探しの旅にでも出てみようかと考えたことがありました。ですが病を患った肉親の母親を家にひとり残し、遠方の地に赴くことなどできませんでした。なにか問題がおこるかもしれない、わるいことがおこるかもしれない。むかし、なんどか交番のお世話になってしまったことがあり、母から目がはなせない状況におちいったことがあります。それならいっそ、可能なかぎり交代で母をみようという事になり、旅行のりょの字もない人生になりました。なので、わたしは近所でなにかないだろうか、と検索するのが趣味になっていきました。そこまでの田舎ではなかったものの、できたおしゃれなお店はなぜか一年ももたず閉店する土地でした。一年以上もてば何年も続きますが、常連さんばかりで居づらい場所になります。そこで神社めぐりをしようと思いました。人もそこまで多くなく、キレイで広くて落ち着けます。かわいい雑貨のようなお守りや、神社によっては和風の小物も縁起物として置いてあって、和風の小物が好きな私には楽しい散策になりました。神社仏閣はだいすきだった祖母も愛していて、たくさん参拝していたようでした。祖母が行きそうな神社仏閣を「ここも祖母が参拝したのかな…」と思いながら参拝するのも楽しい散策になりました。季節毎、年末年始だけ引けるかわいい張り子付のおみくじ、祭りのときだけかけられる色鮮やかな布、煩わしい対人関係がなく挨拶だけさせていただく見知った参拝者の方。春には桜が咲き、赤い鳥居に装飾を施し、雲の影がさし薄暗い神社内にぼんやりと光るようなハナニラの花が蛍のように散らばる様に目を奪われ、神社の方と言葉を交わすうち、自分の中で色々なものが変わっていくのを自覚しました。参拝するだけで喜んで微笑んでくださる神社の方に、感謝する事の大切さ、献身、愛情、嘘を付くことの悪さ。様々な事を教えていただきました。不信心だった私も神社に参拝する、という新しい体験のおかげで人生がより良いほうに代わっていきました。なにげなく近所に神社をおさんぽコースに変えただけでも人生がすこし変わりました。そんな気がしただけなのでしょうが、普段とは違う、新年以外にも神社という神聖な場所に参拝するのも自分を変えるきっかけになると思います。

29歳男 浜省のコンサートに参加 甘ったれだった自分に決別

 こんにちは。僕は29歳の男性です。職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

 そんな僕は昔からシンガーソングライターの「浜田省吾」さん(浜省)のファンです。

 しかしながら、コンサートに参加したのは中学生の時であり、それまではコンサートには参加したことはありませんでした。

 コンサートに参加する前の自分は、「甘ったれ」であり、何かあれば人に頼る。人のせいにする。人を責める。そして、自分が具合悪い時等は少しくらいの事で、早退やら学校を休むというクズでした。

 どこからに「少しくらいズル休みしてもいいや!」という気持ちがありました。

 今思うと本当に情けないと思います。

 そんな時に親から「浜省のチケット取れたよ!一緒に行こうよ!」という事で、コンサートに参加しました。

 オープニングは「モノクロームの虹」というロック調の曲でした。確か浜省さんは、赤いワイシャツをお召しになっており、男ぶりがカッコよかったのを覚えております。

 そして、コンサートは無事終了しました。このコンサートに参加してみて、浜省さんから力を貰いましたし、なんだか自分が少しくらい辛らかったり、痛い・具合悪いくらいで休んだり、親に頼っていた事が情けなくなりました。

 後日に発売されたDVDを購入しました。

 赤いワイシャツの浜省さんをDVDでも観る事ができて、再会した気分となりました。

 そのDVDの特典映像に収録されていたのが、浜省さんはこの時足を怪我(肉離れ)というアクシデントがあったようです。

 それなのにいつもと変わらないパフォーマンスでした・・・本当にプロ意識とプロ根性を感じましたし、この特典映像にも勇気と力を貰ったのです。

 僕が思ったのは(心情としては)、「僕の方が確実に若いし、体力もある。なのに何なんだ?この俺の無様なザマは・・・」と、「よし!昨日までの甘ったれの自分におさらばだ!今日から心を入れ替えよう!」という事になり、今日に至っているのです。

 後悔していることは、具合悪い・痛いくらいで学校を休んだり、早退したことに対しては、情けなくなりましたし心配してくれた先生やら友人にもなんだか申し訳ない気持ちとなりました。

 やはり健康体ならば、きちんと学校へ行き授業を受けて、友人たちといっぱい遊ぶべきだと思いました。

 最後になりますが、アドバイスとしては、「自分を変える」ならば新しい事に挑戦したり、やってみたり、見てみる事がとても重要だと思います。

 しかもきっかけは何でもいいと思うのです。僕はたまたま浜省さんのコンサートというだけだったと思います。

 何か新しい事に挑んだ時に、自分を変える土俵に立っていると思って、新しい事に挑むといいと思います。

 きっと今よりも素敵な自分になれると思うのです。

46歳女 中年でバスケットボールを体験してスポーツが好きにな

40代の2人の子どもを持つ主婦です。
私の人生にスポーツというものはどちらかというと無縁でした。できる、できないではなく興味がありませんでした。
子どもは、昔から外遊びが好きで、幼少の育児から大変でしたが、中学の部活でどっぷりはまり、バスケットボールのクラブチームに入るまでに至りました。
そうなると、保護者の支援も必要になります。
家でのトレーニングや、重なる練習、合宿、試合と全てが初めての体験でした。
自分が身体を動かすという事は考えず、あくまでもサポートと思っていましたが、最近は子どものトレーニングに付き合うだけでは、小学生と違い自分に出来ることが少ないので、一緒にトレーニングをするようになりました。
初めてのバスケットボール練習のしんどさに驚きました。
簡単にではないのでしょうが、それなりにこなしている子どものプレーに感心しました。
身体の衰えもありますが、ランニングも筋トレもボールの付き方も私では、話になりません。
でも、自分で決めた幾つかのプレーはできるようになる、と期間と技の目標を決めて、一緒にトレーニングをしました。
初めは笑っていた子どもも、私ができるように一生懸命アドバイスをしてくれるようになりました。
子どものトレーニングの邪魔になっていないか心配でしたが、子どもは、大丈夫、楽しいよ、と言ってくれます。
出来ない事を、何度も挑戦していると、心が折れそうになります。それに、大会に出る、という目標もありません。
どんな風に自分のメンタルを保てはいいのか不安になります。でも、子どもと一緒にしていると、子どももそんな風に考えてトレーニングに取り組んでいるのかな?なんて思う事もあります。たまたま、バスケをしている子どもの友達のママが、昔、バスケをしていたので、1対1のミニ試合形式を組んでみようと言われ、初めてのバスケットボールの試合みたいなものをしてみました。二人とも、あまり格好のいいプレーではなかったのだと思いますが、子ども達の声援を背景に、私はとても感動しました。子どもがのめり込む気持ちも分かった気もします。試合は10分でしたが、身体は引きつっていましたが、気持ちが良かったです。子ども達も、その後、もっと頑張る、と言ってくれ、無様な姿を見せたかもしれませんが、良かったな、と思いました。
私の中で、スポーツとは縁遠いものでしたが、それから色んなスポーツに興味が湧き、感動するようになりました。スポーツをする方にはならないかもしれないですが、スポーツを楽しめる人生になったと思います。

33歳フリーランサー ワーホリで一生物の経験

京都在住の33歳主婦です。
マッサージ店を退職後、現在はフリーランサーとして生活しています。

私の人生を変えた体験は、ワーキングホリデーです。
ワーキングホリデーとは18歳から30歳までの若者が基本的に一年間海外で旅行・就労・就学できるビザのことで、私も20代の時にニュージーランドとオーストラリアで各一年以上過ごしました。

一番良かったのは、行動する勇気と自立心が身についたことです。
世界各国から来ている同じ境遇の仲間達と過ごし、英語力は勿論ですが、”人に頼らず自分で何とかする”ことを学びました。

また、恐怖心を捨て行動に移すことで何とかやっていけるもんなんだ、と自信にもなりました。

ワーキングホリデーで渡航する以前は、夜の仕事をして貯金をしていました。
ですがストレスでメンタルを崩し、自然が多くて人々もゆったりしているというイメージが強かったニュージーランドに行こうと決断しました。

エージェントを利用しお金を支払って何でも会社に任せて手続きをする人も多かったですが、私は全て自分で手配し、それも達成感と自信に繋がりました。

現地では、日本の文化とは違い仕事最優先ではなく、個人の生活・プライベート・家族優先という方が圧倒的に多く、私も関わりの中で”もっと自分を大切にしていいんだ”と安堵感を覚えました。

旅の途中で知り合った友達数人からオーストラリアの魅力についても聞き、ニュージーランドワーキングホリデー期間終了後、日本に帰国しアルバイトでまた貯金をして、渡豪しました。

英語が上達するごとに、コミュニケーションの幅も広がり生活がより充実し、冒険に溢れるものになっていきました。

後悔は何もありません。

英語能力を身に着けたことがきっかけで今のアメリカ人夫との国際結婚にも繋がり、またウェブサイトオーナーやプロジェクト発起人達から翻訳活動も任せられ積極的に従事しています。

フリーランスで翻訳家になろうと決心したのも、自然の流れであったように感じます。

もし30歳以下の方で海外生活に興味がある、自分を変えたいという方がいたら、尻込みせずに是非ワーキングホリデーに挑戦して頂きたいです。

人生において、一生輝き続けるかけがえのない経験になること間違いなしです。

31歳女性 おひとりさまBARデビューで失恋から立ち直れた!

フリーで働く女性31歳です。現在は彼氏ナシ。彼氏いない歴は3年です。

なぜ、はじめに彼氏ナシを強調したかと言うと…
3年前に結婚を考えていた年下彼氏に浮気された挙句、あっさりフラれたことから新しい世界に足を踏み入れた経験を、これからお話しさせて頂こうと思ったからです。

当時の彼氏は5歳以上離れた年下彼氏でした。約3年半付き合い、結婚を前提に同棲を考え始めた時に、彼の職場の同僚(彼と同い年)と浮気をされ捨てられました。
ちょうど転職したばかりで、仕事も上手くいっていなかった私。彼にフラれたことで、かなり自暴自棄になっていました。
そんな時、柄にもなくお酒の力に頼りたくなり、騒がしい居酒屋で?むのも惨めだったので、ひとり呑み屋街のカウンターバーにフラっと入りました。

その飲み屋街は、所謂キャバクラやソープランドのようなお店が多数点在する街で、バーにもその関係者が来ていたりと、ちょっと治安は悪い場所だったのです。が、逆にそれが『失恋して荒れている私』にはちょうど良く、あっとゆう間にバーの常連に。

初めて訪れた時から、常連さんやマスターが話し相手になってくれたので、特別孤独感もありませんでした。
徐々に常連さんの輪も広がっていき、私の容姿のお陰もあって(自意識過剰ですみません…)お金を持たずにお店に行っても、シャンパンやカクテルが飲み放題!の状況になっていきました。
時には常連さんではない男性から奢って頂くこともあり、女としての自信を取り戻していきました。

この文章を読んでいる方の中にも、『失恋したて』の女性がいるかもしれません。中には特例もありますが、浮気の果てに自分を捨てていった男は二度と戻って来ないと思うのが懸命。
当時の私も、『頑張れば必ず戻ってきてくれる』と信じていました。
「時間が解決してくれるよ」「〇〇ならもっといい人がいるよ!」と月並みな励ましも全く受け入れずに、周りに嘆いてばかりの毎日…。
そんな私を解放してくれたのが『おひとりさまBARデビュー』でした。
きちんとお店の立地や口コミをチェックすれば、危ないお店は回避できますし、バーには本当に色んなひとが訪れ、多様な価値観に出会えます。外見によっては、ありえないくらいチヤホヤされます(笑)
恋愛だけでなく、仕事や家庭などで病んでしまっている方々に、是非!おひとりさまBARデビューをお勧めします!
抱えている問題を解決しようと気張らずに、バーの雰囲気を楽しんでみて下さいね!

49歳女 好きなことをしてこの変化は最高です

40代主婦です。私は現在ホットヨガを週5回続けています。ホットヨガをはじめて5ヶ月目に入りましたがお尻が小さくなってきました。

ホットヨガをする前は常温ヨガが大好きで長く続けていて。本当にヨガが好きで一生常温ヨガを続ける気満々だったのですが、ホットヨガを新しくはじめたら常温ヨガに目が向かなくなってしまったのです。

気が向いたときや汗をこれ以上出したくないときだけ常温ヨガをする程度。ホットヨガは汗の量が尋常じゃないからいくつものレッスンを受けることは正直きついです。現在1日に受けるホットヨガレッスンは多くても2つ。普通はワンレッスン受ければスカッとします。

これ以上汗を出したくないけどもう少し体を動かしたい!と思うときに常温ヨガをするくらいになってしまったんですが、今はそのバランスも気に入っていますよ。ホットヨガをはじめた頃は鼻呼吸が苦しくて気づくと口呼吸になりカラダに悪いことをしている意識がありました。「こんな苦しい思いをして呼吸法もあったもんじゃない・・・」と。

しかし数ヶ月ホットヨガを続けていると人間の体はすごいですね・・・その環境に適応しようとするのですから。あれだけ高温多湿の環境が苦しく苦手だった私が今は最後まで鼻呼吸でポーズに集中することが出来ます。

ホットヨガのおかげでこれまでどんなことをしても落ちなかったお尻の肉が落ちてきました。たった数ヶ月間なのに、どうしようもなかったお尻のお肉が柔らかくなりセルライトが減ってきたのです。お尻が小さく柔らかくなったことで今まではきたくてもはけなかったレギンスをはけるように。スリムパンツまでスルッとはけるようになったのは太もものセルライトまで減ったからでしょう。

典型的な洋なし体型だったのでこの変化は幻を見ているよう。これが幻ではなくこれからもっともっとお尻が小さくなってカッコイイスタイルになれたらもう最高です。ホットヨガは私を変えてくれました。

26歳女 フルマラソンに挑戦で自信と感謝の心をGET

はじめまして。北海道に在住しております、26歳の主婦です。
私が人生が変わった体験は、フルマラソンへの挑戦です。
社会人1年生の時、自由に使える時間が思っていたよりも多く、何か趣味を持ちたいと考えました。
元々中学の時に陸上部だったこともあり、私はランニングを始めることにしました。
初めのうちは、5キロ走るのがやっとだったのですが、だんだんと走れる距離も伸び、スピードも速くなってきました。そうすると、自分の走力を試したいと思うようになり、大会に出場するようになりました。
10キロのレースから始めて、次にハーフマラソンと距離を伸ばしていきました。いつも1人で走っていたので、大会では多くのランナーと一緒に走ることができてとても楽しかったです。なにより、走った結果が、順位やタイムになることにとても達成感を感じていました。
そして、ついにフルマラソンに挑戦することにしました。初めて出場したのは横浜マラソンでした。
フルマラソンに挑戦するにあたって、1人でインターバル練習や30キロ走などの練習を積んできました。しかし、やはり42.195キロは未知の世界で、走り切れるのだろうかという不安が大きかったです。
そしていざスタートすると、まず沿道の応援に驚かされました。今ままでの大会とは比べ物にならないほどの人が沿道には集まっていました。そして、「がんばれ!」とたくさんの応援をしてもらいました。その応援は私にとってとても力になりました。後半になると、足が棒のようになり、今すぐやめてしまいたい・・・!と思うくらい辛いのですが、沿道の応援を聞くともうひと頑張りできるのです。本当に不思議です。
そしてなんとか無事にゴールをすると、今まで感じたことのない達成感に包まれました!
私がはフルマラソンに挑戦し、自分にとても自信が持つことができました。同時に、自分の周りの人への感謝の気持ちに溢れました。マラソンと人生は同じだと感じたのです。1人ぼっちじゃきっと42キロなんて距離走り切れません。沿道の方の応援があったからこそ完走できました。人生も一緒で、自分の周りの人の応援があるからこそ成り立っているのです。私はそれを身をもって体験しました!
ランニングは1人で気軽に始められるスポーツだと思うので、ぜひ多くの人にいつかはフルマラソンに挑戦してもらいたいです。私は大きく人生観が変わりました!!!

62歳男 海外単身旅行で人生観が変わり、ストレスフリーになった話

60歳を過ぎた今、人生をゆっくり振り返る時がある。
過ぎてしまえば長いような短いような・・。しみじみ走馬灯のように頭に出来事を浮かべてみると、その後の人生を大きく変えた体験がいくつかあった。
その中でも一番大きな転機となった出来事と言えば、26歳の時に一人でイタリアに行った経験だ。
仕事をしていた私は、年始年末の休みを利用して、ツアーではなく思い切って自分一人でチケットを手配して、単身終日フリーの旅行に出発した。
元々海外旅行が好きで、長期の休みがとれるとツアーでアジア数カ国はすでに行っていた。その国々で良く目にしたのは、大きな荷物を背中に負って気ままに旅行を楽しんでいるひとり旅の若者達だった。治安が悪かろうが騙されようが、彼らは逞しく自由に旅行を満喫していた。
ツアーで来ている私たちは、ガイドさんから「・・に行っては危ないからやめましょう。・・という声かけには対応せずに無視してください。」など、注意だらけで萎縮してしまっていたので、彼らの伸び伸びリラックスしている様子に憧れを感じていた。
そこで、一大奮起して「海外ひとり旅」にチャレンジしたけれど、これが思った以上に過酷な旅だった。
まずは、時間通りに発着しない飛行機にとてもイライラさせられた。日本では、少しの遅れも許されない交通システムが常識だが、イタリアは遅れない方が非常識だった。給油で止まった飛行機は、2時間過ぎても出発せず、乗り換えの空港では4時間待ち。ようやく目的地に着いた時には、夜中の1時だった。がらんとした薄暗い冬の空港で、朝まで待つ時の寒さと怖さは、今まで人生の中で感じた恐怖を超越していた。
更には、その後やっと人のいる街までたどり着いた時、ウロウロ困っている姿を見ても声をかけてくれる人は誰もおらず、おまけに道を尋ねようとしても、聞く耳も持ってくれず、買い物したスパーではおつりをちょろまかされた。
あまりにもやさしい社会で過ごしてきたので、自分の力で自分を守る事を忘れていたことに気ずき、私は変わった。
この旅の収穫は、どんな時もへこたれず立ち向かっていくパワーと、どんなアクシデントに遭ってもストレスフリーで乗り越える自信だ。
人生のパワーアップには、海外ひとり旅をおすすめする。

30歳女 メガネをやめて積極的に

現在30歳の女性です。私は小学校低学年から目が悪く、近視の眼鏡をかけていました。性格はもともと明るく、あまり人と争ったりすることもなくそれなりに友達といて仲良くやっていました。高学年になると子供同士で身体的特徴などをからかうことも多くなり、とりたてて特徴のなかった私は眼鏡をからかわれることが多くなってきました。子供ながらに「眼鏡なんかいつでも外せるし」と思っていたためそこまで傷つくことはありませんでしたが、なんとなく流行りに敏感な子との距離を感じることが多くなってきました。
中学に上がり相変わらず眼鏡をかけていたのですが、私の目はかなり悪く、レンズの厚みがかなりありました。おかげで目が小さく見えたり、体育の時などはとっさに見えにくい角度などがあってだんだんと煩わしくなってきました。
中学にもなると小学生よりは落ち着いてくるのか、眼鏡についてからかわれることもあまりなく、嫌な思いをしたことはなかったように思いますが、自分の中では流行についていくことができない、かわいくなれないという劣等感が強くなっていき、目立たないようにしなければと以前に比べておとなしい性格になっていきました。母親に相談してみましたが「中学生でコンタクトレンズは早すぎるんじゃない?きちんと管理できるの?」と言われ、少し自信をなくしてしまいました。
高校への進学を控えてついにコンタクトレンズに変えることにしました。初めてつけた時は目がゴロゴロし違和感を感じました。日光の下に出ると今まで感じたことのない眩しさに目がチカチカすることもありましたが、つけ始めにはよくあることだそうで、次第に慣れていきました。
コンタクトレンズに変えて高校へ初登校の日、同じ中学校だった子には「かわいくなったね!」と言われとても嬉しかったのを覚えています。友達もたくさんでき、一学期の終わる頃には男の子2人くらいに告白もされました。かなり遅いですがそんな経験も生まれて初めてでした。こうやってコンプレックスを努力無しに簡単に克服してしまったのですが、余計な思い込みがなくなって自分に「好きに振舞っていいんだ、好きなことをしてもいいんだ」という自信がついたため、高校、大学と友人たちとともに好きなことや勉強に一生懸命取り組み、充実した日々を送ることができました。

42歳男 希望に満ちた気持ちになりました。

こんにちは。42歳会社員です。
私が出会った人生が変わった体験というのはアデプトプログラムというプログラムを受けたことです。これは、エネルギーが使えるような身体になるというものです。普段の生活の中で健康でも、自分のやりたいことでもなんでもエネルギーで物事を解決することができるようになるというものでした。
それまで、人生の中で自信が無く過ごしていたのですが、このアデプトプログラムを受けてから、自分に自信が付くようになりました。考え方もネガティブだったものから、ポジティブなものへと変わっていきました。アデプトプログラムとは何千年もの間口伝により伝えられてきた教えだそうです。アインシュタインやユング、ダヴィンチなどが受けてきた、天才になることができるプログラムでもあります。受けたときの心境は、これで人生が変わるなら本当にラッキーだなと思いました。なんて自分は幸運なものに出会えることができたのだろうと思いました。
何故なら、人生における悩みというものがあったときに、その悩みをいつも解決することができるようになるということだからです。エネルギーを使うことができることで何でも自分で解決することができるようになったのです。
このアデプトプログラムを受けるとそのプログラムの中でリチュアルというものを習います。そのリチュアルをすることで、エネルギーを使るようになるのです。
後悔していることと言えば、このアデプトプログラムを受けるまでにかなり多くの無駄なことをしてしまったなということです。多くのセミナーや本などにお金と時間を費やしてしまいました。潜在意識や自己啓発のセミナーなどを沢山受けました。今、思えば、一つも受ける必要のないものだったなと思います。アデプトプログラムさえ受けてしまえば、後は何も必要なかったなと思うのです。読んでいる方にアドバイスがあるとすれば、人生を新しく迎えたいという人にはアデプトプログラムは是非、おすすめです。

30歳男 自分の苦手なことに立ち向かって人生が楽しくなった

私は今年30歳の男性です。仕事は化学系メーカーで製造オペレーターとして働いていたのですが、2年前から主任に役職が昇進しました。私がメーカーを就職先に選んだのには理由がありました。その理由とは人とコミュニケーションをとるのに苦手意識があったことです。メーカーに就職すれば、極力人とコミュニケーションをとらずに済むのではないかと考え、今の会社を選びました。実際に製造オペレーターをやっている時はほぼ人と話すことはありませんでした。
しかし、主任に昇進して人の上に立つ立場となり状況は一変しました。部下に仕事の進め方を教育したり、仕事の進捗を確認したり、仕事の中心にコミュニケーションが必要な業務になってしまいました。
コミュニケーションに苦手意識がある私からすると、そのような業務は苦労の毎日でした。なぜ、私がこのような仕事をしなければいけないのかと悩んでしまう毎日でした。任された仕事に対して、当時の私はこのような向き合い方をしていたので、やはり部下からの信頼をえることも、正確な報連相を行うことも出来ずにいました。
しかし、このままでは何の変化もないし、自分が変わらなければ部下たちに迷惑をかけてしまうと思い、私はコミュニケーションセミナーを受講することを決意しました。私はそのセミナーでコミュニケーションをとる上で大切なことをたくさん学びました。セミナーを受講してから半年が経つ頃には自信が付き、部下とのコミュニケーションも円滑に行うことが出来るようになり、受講以前と比較すると部下からの信頼を得ることが出来たのではないかなと感じています。今や私はセミナー受講をきっかけに、人とコミュニケーションをとることがむしろ楽しく好きな事に変わりました。主任という立場を嫌がっていましたが、セミナーを受講し自信がついたことで、部下とコミュニケーションをとり部下が育っていくのがとても楽しみとなり、主任という業務を楽しく感じています。苦手意識があるものに対して、逃げるのではなく向き合うことで私の人生はガラリと変わりました。
後悔していることといえば、もっと早く自分の弱みと向き合うことが出来ていれば、今よりたくさん友人が出来ていたのではないかなとかんじることです。
これを読んでいる人へ私からアドバイスするならば、苦手意識があるものに対してにげるのではなく、向き合うことで、人生はガラリと変わることがあります。悩んでいるのならば一歩踏み出してみることがとても大事ではないかなと思います。

33歳男 囲碁を覚え幅広い年代の方と交流を出来るようになりました。

・軽く自己紹介
 33歳男です。私は、数年前から囲碁を勉強し始め、だんだんと棋力が上がり、幅広い年代の方と交流を出来るようになりました。また、私の新しい趣味としての囲碁は、囲碁をすることにより考える力を養わせてくれ、また、強くなってくるとさらにいろいろと囲碁に対して深い興味を持ってくるのでどんどん囲碁について調べたくなり、物事を深く調査する力を養わせてくれ、また、囲碁のもつスリリングなゲーム性がいままでの勝負事に弱かった私に勝負強さんを養わせてくれました。
・行動した経緯や時期
 私は、数年前、囲碁についての漫画「ヒカルの碁」を読み、囲碁に興味を持ち、囲碁を覚えようと思いました。囲碁の勉強方法としては、テレビでやっている囲碁対局番組を観たり、テレビでやっている囲碁の解説番組を観たり、囲碁の雑誌を本屋、図書館で立ち読みしたり、プロ棋士の趙治勲さんが様々な囲碁の重要論点についての問題集を書いた本である「ひと目の~」シリーズを買って何回も繰り替えし問題を解いたり、プロ棋士の棋譜を本やネットから見つけてそれを碁盤に並べてプロ棋士の考え方の流れを知ったり、スマートフォンの囲碁アプリの人工知能と対戦したり、スマートフォンの囲碁対局アプリでネット上で人と対局をしたり、私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局したりしました。
・その時の心情
 私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局すると、ご高齢の方でもとても強いので驚かされました。また、そのような方は、年の割には若く見え、囲碁にはアンチエイジング効果があるのかもしれないと思いました。また、様々な年代の方と囲碁を対局すると私の同年代の方と話をしていては得られないような内容の話を聞けるので、私の世界が広がるので良いと思いました。
・後悔していること
 私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局していると、私は時々ムキになってしまい、周りが見えなくなってしまい、相手に絶対に勝とうとして相手が嫌がるような乱暴な一手を打ち、相手を嫌な気持ちにさせてしまったことがあるので、それは後悔していると思いました。
・みている人にアドバイスがあるとしたら
 現実で相手と向きあって囲碁をするときは、相手を嫌な気持ちにさせないように、礼儀正しく打つことが大切だと思います。

35歳女性 私の人生は私のもの

私は過去に一度結婚をしたことがあります。相手の男性と同じ歳で、23歳の時に結婚をしたのですが、相手の義両親や義姉が、毎日のように私たちの家を訪れてきて、家を占領し、義姉も子供も連れてきて、その子供はうちの中のものまで全て出し、ひっくり返し、それでも義姉は子供に、大丈夫!全部汚して帰ろう!どうせ片付けるのは叔母さんなのだから、という言い方をする人で、私は知らず知らずに、すごくストレスになっていき、そのストレスが溜まりに溜まって爆発してしまいました。義両親もまた、1日でも私の家を訪れなくなったと思ったら、電話が鳴り、今から家に行きたい、とか、何をしてるのかという、催促と言っても過言ではないくらいの連絡が来ました。元旦那にそれを言っても、自分の両親や姉が遊びに来てなにが悪いのか、考えすぎだ、と言うような言い分で、最低でした。気付いた時には、私はノイローゼ気味になっていて、今の生活はやめよう、もう全ておしまいにしよう、という事で、思い切って離婚を決意しました。
離婚をすると言った行為自体に罪悪感を抱いていた私でしたが、全て手放して、新しい世界に踏み込むと、かなり気持ちが楽になりました。
それからは結婚前まで働いていた系列の、クッキンスタジオの講師としてまた働けるようになり、生徒さんたちと和気あいあいと楽しい時間を過ごすこともできましたし、自分で働いたお金を貯めて、好きな旅行にも好きな時間に、好きなだけ行けるようにもなりました。そして趣味活動で、ヨガも初めて、体も引き締まったり、痩せたりして、なんだか自分が自分ではないような感覚に陥り、毎日自分だけのキラキラした素敵な時間を持つことができるようになりました。
周りの知人や友人たちからも、新しい世界に思い切って踏み込んでみて、本当に良かったとよく言われています。
これからも、自分の人生は、自分のものだし、納得いくまでとことん突き進むような素敵な生き方を目指しています。

18歳女 「変わりたい」声に出し新たな視点をGET

私は今年大学に入学したばかりの女子大生です。
今まで私の趣味といえば読書や漫画、映画鑑賞など受動的でインドアなものばかりでした。
大学に入学して新たな環境に足を踏み入れるということで、新しいことに挑戦してみたくなった私はアウトドアに興味を持ちました。
大学入学したての頃、親しくなった友人全員に「キャンプに行ってみたいんだ」と触れ回っていました。
親しくなったばかりの人からキャンプをしようなんて言われても実行に移してくれるひとはいません。
しかし、入学して1か月程たった頃、キャンプに行きたいと伝えた友人の一人(以下、A子とする)から「一緒にキャンプしないか」と誘われたのです。私はまさかこんなに早く願望が叶うとは思っていなかったので、とてもうれしかったのを覚えています。それと同時に「なんでも言ってみるもんだなぁ」と感じました。
ランティアの一環で、子どもたちと数日間自然に囲まれながらキャンプをして子どもたちの主体性を育めるようサポートするというものだった。私はてっきりA子と二人でのんびりキャンプをすると思っていたのでボランティアと聞いて少し拍子抜けしましたが、「やったことのないキャンプができてしかも謝礼ももらえるなんて最高だ」と思い結局参加することにしました。
キャンプ当日、小学1年生から6年生までたくさんの子どもたちと顔を合わせました。キャンプ中は子どもたちと大声で歌を歌ったり、お風呂に入ったり、カレーを作ったり、テントを立てたり、様々なことを体験しました。中には言うことを聞いてくれない子がいたり、目を離したらすぐどこかへ行ってしまう子もいたり、一筋縄ではいかないこともたくさんありましたが、子どもと一人一人、目線を合わせ話をしてみるとみんないい子でした。悪いことをした子に悪いことをした理由を聞いてみるとちゃんとした理由を話してくれたり、大人にはない感性でものを見ていたり、サポート役として参加したのに逆に学ばされることの方が多かったのです。
数日間のキャンプも終わりに近づきもうすぐで子どもたちとお別れ、というとき、子どもたちから満面の笑みで「楽しかった。○○(私)ありがとう!」と言われました。私はこの言葉を聞いてすごくうれしくて涙が出そうになりました。いや、出ました。
最初、軽い気持ちで言った「キャンプに行きたい」からこんなにも貴重な経験ができるなんて想像もしていませんでした。普段子どもと触れ合うことなんてないので今回のキャンプで子どもたちと一緒に生活して、子どもならではの視点に気づくことができ、このキャンプを紹介してくれたA子には感謝してもしきれません。
私が目指している職業上、子どもと触れ合うという場面が必ず出てくるので、この経験を活かして次につなげていこうと思います。
 
後悔していることといえば、もっと早く行動に移していれば自分の視野をもっと早くから広げることができたんだろうなと思います。

最後にこれを読んでくださった方へ。変わりたいと思ったら、何かをやりたいと思ったら、すぐに口に出してみましょう。思わぬところで実現するかもしれません。

35歳 男 人生を変えてくれたFX

今の日本社会をじっくり観察し始めてきた3年前の私。どの求人募集を見ても、大体が同じ事を書いていて、又ザックリ出した求人側の給料とボーナスを年収で出しても、こんな金額で今後暮らせる訳がない。残業をしまくって少しでも年収を上げていくしかない。何時間も働いて、寝て、また働いて寝て、たまの休日も金の計算をしながら出かけて、それで日曜が終わる。
何を楽しんで生きていけば良いのか?

先日日本政府から65歳~95歳まで年金をもらってもプラス2000万円の生活費が必要になるらしい。今の日本の企業と物価を見る限り、当然高卒の私からは、普通に働いても2000万以上の貯金なんて無理!どんだけ節約したところで、日本は物価が高いため、なんの効果も期待できない。むしろ、ストレスが溜まって病気になって死に至るだけ。
又、働き方改革というものまで出てきた。こんなものまで出てきたら、残業ができなくなって、当然2000万なんか溜まるはずがない。
そんな事を日々思いながら7時30分~18時まで仕事をしている私。作業の薄い時は、その事に対しての対策を考えている。
色々考えた私は副業を決意。でもアルバイトをする訳ではない。それだと残業と全く変わらず、疲れて終わり。
自分が持っている金に働いてもらおう!投資だ。…ただ、株をするだけの金額はない為、FX、外国為替をする事にした。
FXとは、Foreign Exchangeの略で外国為替取引という意味。簡単に言ってしまえば、現在100円の日本円を一度ドルにする。一年後104円に上がったので、ドルを日本円に戻すと、一年前に持ってた100円が104円になってる!これが外国為替の儲け方。
このFXの魅力は、少額ながら簡単に取引ができ、最近は携帯で取引が可能な為、どこにいても取引ができてしまう事。少し簡単な事しか言えないが…
その魅力を知った私は、すぐに取引開始。FXで稼げる人は1割の人だけと聞くが、9割の人が稼げない理由をネットで調べ、確信した。要は諦めなければ良いだけ!勉強しまくって場数を踏み、少しでも良いから結果を出す。私はその事をしりその後の人生計画を立てやすくなり、そして夢が膨らんでいった。今の日本社会に対するストレスを持っている人なら、夢を持たせてくれたFXでそのストレスを解消できるだけでも大きなメリットだろう。
しかしながら、同然リスクもある。9割も負けるのだから、諦めないにしたって、負けて諦めるのだから、それなりの金額も必要になる。FXはトレード内容により、ギャンブルになってしまう。ギャンブル性の高いトレードをしている人達は、下手をしたら借金までしてトレードする所まで発展する可能性、リスクがある。そこだけは絶対に避けなければならない。
とは言っても、今の低い給料で一生の人生を終わるよりは、行動をして、今の稼ぎ方は、別に社会に出て稼ぐやり方以外にも、色々な選択肢がある。その事を考えさせてくれたFXには、だいぶ感謝しているし、始めて良かったと思います。

60歳代男性 若い時の方向転換がうまくいったと思っています。

横浜市に住む60歳代の男性です。
人生を変えた出来事は新人として入社して2年目に、地方の親会社に出向させられたことです。
苦労して内定をもらったときは、このまま定年まで勤めようと思っていました。両親は上場2部の会社で業界としては下位に位置していた会社なので、不満はありそうでした。
私は会社の規模に関係なく、大学で専攻していた物理を生かせるところでしたので、気にしませんでした。
配属されたところも研究開発部でしたので、給料が安くても何も不満を感じませんでした。
ところが会社の景気が悪くなり、2年目に長野にある親会社の工場に出向させられてしまいました。入社したときは世間的には公表されていませんでしたが、親子の会社関係があることを初めて知りました。
配属されたところは半導体を製造する工場で、仕事は設備保守でした。研究職から製造職になったこともショックでしたが、当時の装置産業では最先端でしたので、勉強になりました。
さらに親会社の同じ年代の人と仕事をしましたが、正直それほど優秀だとは思いませんでした。一流会社の人と能力的に大きな差があるのではと思っていたことが覆されました。
さらに給料もよいみたいでしたので、誰も会社に対して不満を訴える人はいませんでした。入社した会社では毎日悪口ばかりでしたので、環境は異なるとこれほど違うことを身をもって知ることができました。
その後、出向した会社から元の会社に呼び戻されましたが、仕事に対しての考え方が変わっていました。
次に転職する先は、業界でもトップクラスで職種は生産部門に絞り、活動を始めました。今までは規模が小さい会社が大きくなっていくことを重視していましたが、経験上無理だと悟ったからです。
現在は転職した会社で生産技術の仕事に携わり、定年を迎えることができました。
後悔していることは何もありません。むしろいつまでも昔の考えに固執しないで、変化に対し、柔軟に対応したほうがよいと思います。

34歳女 私は結婚しないと思っていたけれど

30代主婦です。
結婚をして、人生が変わりました。
ずっと、こどもも別にいらないし、自分は自分の好きなことをして生きていたい。このまま結婚できないかもしれない、さみしいかもしれないけど仕方ないか~と思って生きてきた人生でした。
今まで付き合った人とも長くは続かず、私が嫌になってすぐ別れてしまうか、どんなに続く人でも2~3年。
自分の年齢が上がるにつれ、同年齢の相手からは結婚をほのめかされることも増えましたが、そうするとスッと自分の気持ちが引いてしまう。
追うより追われたいタイプだと思っていましたが、この先の人生をずっと共にしたいと思う人には出会えていなかったようです。
そんなとき、本当にふとしたことで再会した昔の友人と、なぜかトントン拍子に結婚。自分でも不思議なくらいでした。今まで付き合った人の中で一番かっこいいわけでも、一番私を甘やかしてくれるわけでも、一番身長が高いわけでもない彼と、なぜか自然に「ずっと一緒にいるのかも」と思えたんです。
そしてそうやって結婚してしまうと、なんと日々のおだやかなことか。毎日送り出す相手がいて、毎日一緒に食事をする相手がいる。つまらないことで喧嘩したり笑ったり、休みの日には当然のように一緒にでかけて。
なにより、家族が増えました。お互いの両親、きょうだい、おじやおば、イトコたちまで。これは運が良かったのかもしれませんが、私も夫もとても家族仲が良く、そしてお互いの家族が相手をとてもあたたかかく迎え入れてくれたのです。
今では、夫なしでも義母とランチしたり、義姉とでかけたり。夫も私なしで私の弟と飲みに行ったり、父からDIYグッズを借りたいしています。
昔の自分だったらこんな生活信じられません。
再会してから結婚までが早かったので、周りの人には「運命的な再会だったんだね!」とよく言われます。けどそんな情熱的なものではなく、本当に気づいたら結婚してた、くらいの感じです。
けど確実に人生が変わりました。そしてそれが心地よいです。

25歳女 釣りを始めたらハッピーがいっぱいに

通勤以外ではあまり外出したくない超インドア系の働く女子です。
仕事柄、女性が少なく、同年代も少ない
おじさんだらけの職場で働いています。
ジェネレーションギャップや性別の違いであまり話のネタがありませんでした。
ある日youtubeで「釣りよか」の動画をみてとても面白かったので軽い気持ちで釣りを始めることにしました。
お買い物に行くのもめんどくさかったのでamazonで5000円くらいの安い釣り道具セットを購入し、届いた週の週末に近くの釣り場へ行きました。
初めてだったのでどうやるのかもわからず
とりあえず簡単そうなサビキセットをつけて釣りをしました。
すぐに魚がヒットし、色々な小魚たちが釣れました。
釣った魚は写真を撮ってとりあえずその日は3時間ほどで帰りました。
休み明けに撮った写真をおじさん社員たちに見せると
「若い女の子やのに釣りに行くのか!」
「最近は釣りガールが流行っているね!」
など、とても話が盛り上がりました。
それ以来金曜日はオススメの釣り場の話や
天気と潮の情報の話などを聞かせてくれたりと話題が増えました。
釣りを初めて半年くらいたったのですが
車内で私が釣りをするということがだんだん知られるようになってきて先輩方や外注さんからの釣りのお誘いを受けるようにもなりました。
最初は若い女の子は取っ掛かりにくいという雰囲気だったのですが
最近はあまりそのような雰囲気はなく、和気藹々先輩方とお話できる機会が増えています。
新しいチャレンジがちょっとした趣味になって
それがコミュニケーションのきっかけになり
今まであまり雑談をしなかったような方達と話す機会ができ
知らないことを教えてもらえたり
世代間での価値観の違いに気づいたり
私の人生は少しですが変わりはじめているように思います。
今までやってこなかったことにチャレンジすることはすごく億劫ですが、
やってみて自分に合わなければやめればいいんですから
とりあえずチャレンジしてみると良いと思います。
以外にはまって楽しみが増えるだけでなく
もしかしたら私のようにもっとたくさんおまけがついて来るかもしれませんよ。

18歳男性 悔しさを成功につなげることができた

私は現在大学で建築学を専攻しているものです。
まだ人生を少ししか生きてませんが、その中でも私が体験したことは今とこれからの私にとってとても重要なものだと思うので自信をもって共有させていただきます。

高校生一年の頃私は彼女に振られました。とても好きだったのに相手が覚めていくのに気付いて、俺も好きじゃなくなった、と意地を張ってしまいそのまま別れ話になった、というのが大体の話です。それから約一年と半年ぐらい引きずったのですが、なかでも一番つらかったのが高校二年生の時です。私はサッカー部に所属していたのですが、あまり活躍できる選手ではありませんでした。同じ学年の友達がどんどんとスタメンに入ったり試合で活躍している中、私はベンチで悔しい思いをしながら座っていました。そんな中私と別れた元カノはダンス部のキャプテンに任命されました。その時私は素直に祝うことなど決してできず、ただただ劣等感に虐げられていました。元カノがキャプテンとして活躍し新しい彼氏もでき順風満帆なJKライフをおくっている中、私はずるずると引きずって部活ではどんなに頑張ってもベンチでしまいには友達には「余裕をこいていたから試合に出れていない反面教師」として私のことを後輩に話していました。何から何まで本当に悔しくってその時はとりあえずがむしゃらに頑張っていました。試合に出れている友達が適当に練習しているなか、すべて真面目に練習をこなし、朝はみんなが登校する時間より少し早めに学校に行き一人でボールを蹴っていました。
結果最後の試合には同じポジションの後輩がけがで出れなくなり、望んでいた形とは異なりますが何とか試合に出場できることができました。今思うと本当に幸運であったと思います。

私がこの体験で得たことは「頑張っていれば良いことが起こる」というようなものではありません。
「自分の強みを生かして戦う」ということです。人間誰しも他の人より得意なステータスは割り振られています。大事なのはそのステータスをどれほど伸ばすか、ではなく、どうやって武器にするかです。サッカーでも一緒で活躍できる選手はやはり自分の持ち味を持っていて試合でもそれが武器になっています。苦手なステータスを伸ばしても上には上がいます。どんなに頑張っても平均を少し超えるぐらいで替えはいくらでも利きます。まず自分の得意を見つけ、その得意を今後どのように生かすか、それが活躍の第一歩となると思います。

24歳女性 外国での生活で価値観の変化がおきた

20代日本人女性です。
新しい行動で人生が変わったと思う行動は、18歳のころに1人で海外で生活したことです。語学留学でアメリカに1年すみましたが、その語学学校で、さまざまな国の人たちと出会い、いろんなことに驚かされました。国が違えば、文化も法律も考え方や風習も学校のスタイルも流行りも感覚も何もかもが違うので、自分の中になかった新しい価値観が創造されたことが一番大きいです。その頃私は18歳で、高校を卒業してから行きましたが、中には自分よりも年下の16歳のドイツフランスの男の子がいました。高校は?と聞くと、もう卒業したよと言っていました。どういうことかと一瞬思いましたが、海外では飛び級やホームスクーリングの文化があることを思い出して納得しました。自分よりも若い子が、飛び級ですでに高校を卒業して、こうして外国へ語学留学しているんだなあと感心しました。そのほかにもイタリアやロシア、中国や台湾などたくさんの英語圏ではない国の人たちがいました。そこで思ったのはやはり、中国や台湾、韓国あたりは日本人と感性が似ているなと思うことが多く、ヨーロッパの人たちはなんとなく、感性が全然違うように感じました。見た目の違いもありますし、国が離れている分、親近感のようなものもないからです。ですが、話してみるとそんなことはなくて、新しいクラスになるとどこか緊張していたり、向こうから話しかけてくれる人もいたりフレンドリーに会話をして来ようとしてくれたりするのを見て、自分の中で壁みたいなものは段々と薄れていきました。
英語があまり得意ではなかった自分も、海外で生活しているうちに、自分は英語が第一言語ではないんだし喋れないのは仕方ない、今から上達するんだという気持ちで、堂々とたとえ間違っていても現地の人と気軽に話すようにもなりました。それまでは、間違っていたら恥ずかしいなとか怖いという気持ちで喋れませんでしたが、吹っ切れてからは、かなり上達しました。

アメリカの自分勝手さがちょうどいい

都内の外資系企業で働く30代です。数年前に約1年半、アメリカのサンフランシスコで専門学校に通いながら働いていました。そこでの生活を経て、特に人付き合いと自分自身へのジャッジについて大きな変化がありました。先ずは人付き合いについて。アメリカ人って街中でも知らない人に平気で話しかけるし、相手がどんな状況かも気にせず声掛けてきます。横断歩道ですれ違う際に、来ている服や持ち物にそれ素敵ねって言ってくるし、私の日焼け肌の色がいいから通っているサロンを教えてほしいって言われたり。バスや電車で乗り合わせた人と会話が始まって、気があったら別れ際に連絡先交換するのも多々ありました。お店の店員さんが知り合いを贔屓してサービスするのは当たり前で、私もしょっちゅう明らかに売り物で、レジで私の前の人には売っていたドーナツを常連で仲良しの私には当たり前にタダでもらったりしてました。そういうの全く隠さないし、周りも別に指摘しないんです。なぜなら皆んなが同じことをしてるからだと思います。仕事中でも自分の知り合いに会えば世間話してひいきしてあげる。そういうもんなんです。同じようにアメリカで暮らしていた日本人の知り合いにはそういうのが許せないって言っている子も沢山いましたが私はむしろ人間らしくって気に入ってしまいました。だって何時だって友達に会えたら嬉しいし、好きなんだからサービスしてあげるのは当たり前じゃんって。だからアメリカのお店ではお客様は神様って言葉が一切当てはまらなかったです。お客さんでも店員に対して失礼な態度や横柄な人は、それに応じたサービスしか受けられないのが当たり前です。反対にこちらが感じよく振る舞えば日本ではあり得ないようなサービスをしてもらえたりもします。だから私は人に期待するよりもいつでも自分が機嫌よく他人に優しくできる余裕を持つことの方に集中するようになりました。そうしたら人の事を気にしなくて良くなっって楽に生きられるようになりました。

48歳 女 行動して本当に良かったです。

 現在、そろばん教室の講師をしている主婦です。
講師歴は約10年になります。
 私の人生が変わった体験は、この講師の仕事です。
それまでの仕事は、経理もしくはデータ入力だけでした。
 この講師の仕事をするきっかけをつくってくれたのが、当時、息子と同じスイミングスクールに通っていた子どものお母さんでした。彼女は、英文科の短大を卒業してから英会話教室の先生を5年経験し、カナダ留学を経験した優秀な人でした。出会った当時も子どもを保育園に預けながら、午前中は大人、夕方は子どもを教えていました。その当時、仕事は?何か得意なことはある?と聞かれました。私は、いまは子どもがまだ幼稚園なので小学生になったら仕事したいと考えている。得意なことは約10年習い続けたそろばんくらいかな。9段だけどと答えました。彼女は驚いて、私の子どもを教えてほしい。それに、人は才能を活かさないともったいない。いま勤務しているカルチャースクールで教えなさいよ。といわれました。私はそのとき軽い返事で返しました。しかし、彼女は会うたびに、カルチャースクールに面接行った?というようになったので、私は彼女の押しに負けて面接に行くことになりました。すると、驚いたことに、カルチャースクールでは、そろばん教室を開講したくてちょうど講師を探していたというのです。すぐに採用され、体験会、開講と、とんとん拍子に事が進みました。息子には自宅で教えていたのですが、人様の子どもを教えるのは初めてでしたの緊張の連続でした。しかし、予想外に保護者の方からは、先生のおかげで算数が得意になりましたや検定試験に合格してとても喜んでいます等のお褒めの言葉をいただくようになりました。それ以来、人に喜んでいただけるこの仕事を続けようと決心し、いまに至ります。
 息子には、何事も行動しないといい結果はでないのよ。と偉そうに言っていますが、当時、自分の才能を活かそうとしなかった自分が恥ずかしく思いますし、いまでは彼女に感謝しています。挑戦しようか迷っている方、自分に自信のない方はたくさんいると思いますが、一歩前に進んでみてはいかがでしょうか。